近所に同じ高校へ行く同期が二人いたけれど、登下校で一緒になった記憶は・・・ 雨の日 の下校時に先を歩くトシコさん、私は傘をさしていたけれど彼女は傘ナシだった。 傘を渡して私は走ろうかなどと思いながら・・・ 距離を詰めることもなく角を曲がるのを 見送ってしまったことくらいだ ^^
2017年5月のブログ記事
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リラ冷えから、五月晴れどころかいきなり初夏になりました ^^
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寒い雨の一日になりました。暖房を入れてウトウトしたり・・・ 人生を省みたり・・・ (笑
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気付けば木々は みどり 〃 〃 だった ・・・
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初夏の様な好天は一休み・・・ 静かな曇り空の一日になりました。
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穏やかな花曇りの日曜日です。ほんわか 〃 で寿命も延びそうです 🤗
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真夏ならきつい西日だけれど、皐月のそれは嬉しいくらい ^^
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小雨降る寒い朝・・・今日は天気予報が当たりだ。ワンちゃんと散歩してきた。 チューリップもタンポポも花を閉じていた。 明日からは好天が続くそうだ。満喫しなくてはね ('-'
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卒業式が終わり静かになった校内を数人と一緒に歩き、やがて玄関のそばの教室にいた。 病気で一年遅れて六年生を一緒に過ごしたガンセさんはお姉さんだった。ガンセさんが 『さぁ、帰ろう』と言った。 歩きながら、一人 〃 とさよならを言った。一人で歩きながら涙がながれました。
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運動会より遠足が好きだった。街はずれの川沿いの辺りでお昼を食べた。 楽しそうだね・・・ 楽しかったんだね ^^ 中心のヤノさんは明るく元気なおんな・・・ 否 女子リーダーだった。
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炭鉱街の小学校の生徒と野球の試合をすることになった。その前日に母にユニフォームが 欲しいと言った。 母は普段着で良いと思うよと言いながら運動具店へ行き用意してくれた。 よかったと思う気持ちと、母にすまないと思うそれとがない交ぜになった。 私の肩に手を置いてくれているのが佐々木先生です。
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笛吹童子、紅孔雀・・・ ノンちゃんやシゲルクンと観に行った。 山側の炭鉱街の劇場は大きくてきれいだった。大きな店舗もあって母はノンちゃんのお母 さんとリックを背負い買い物に行った。何となく炭鉱街の方が活気ある様に感じた。
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小学校五年生と六年生の二年間の担任が『佐々木先生』でした。 先生一年生、少し年の離れたお兄さんくらいの先生で、私の人生で深く 〃 記憶に残る大好きな先生です。書き切れないたくさんの思い出が巡ります・・・。
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スーッと潮が引く様に風が止み靄りもとれてすっきりした。 あら、カラスの巣がない! 飛ばされてしまった様です。 横の木に一羽が留まっています。ガッカリだと思います。
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黄砂だろうか晴れているけれど靄っている。強い風に高い木が大きく揺れている。 その木のてっぺんに去年できたカラスの巣も大揺れだ。 小枝を絡めただけに見えるけれど、冬の嵐にも耐えたのだから大丈夫だろう。 去年は誕生した子カラスが巣離れするまで辺りを威嚇する親カラスに迷惑した・・・今年は 来ないのかなぁ~
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絵にすると昭和の漫画になりそうな話し・・・ まだ 〃 続きます^^
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向かいは大きな『お寺』でした。広い境内は子供たちの遊び場でした。 夏祭りには見世物小屋とオートバイサーカスとたくさんの子供心を掻き立てる出店が並び ました。 大晦日には鐘撞堂で除夜の鐘が百八つ。暖かな時期は正面の石門の陰に女の乞食がいまし た。『みなみのせっこ』と呼ばれ、裏玄関に 食べ物を乞いにき... 続きをみる
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田舎の暮らし・・・ 一年とか二年とかの期間と思います。 その間に弟が亡くなりました。同居する一人の結核がうつり一歳半の命を閉じたのです。 病院の出窓の様な所で母が炭火で魚を焼いている・・・ そんな光景がぼんやりと記憶にあり ます。 ご飯支度をしていたのかも知れませんが、それが本当にそうだったかは分... 続きをみる
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義妹の三回忌に行ってきた。本人が居るかと思うほど似た声音の姉の喋りが止まらない。 私と目線が合っても怯むことはない。 義妹、一生懸命な人だった。私は少し苦手だったけれど…。
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父親は三重県伊勢の出身でした。騎馬隊にあこがれ、家を抜け出して入隊したとかの話し を、後々に父の姉から聞きましたが、それから満州へ至る経過などは分かりません。 敗戦後、軍隊で一緒だった人の父親が北海道で木材店を営む人だった縁で、復員後はその 店の木材を切りだす田舎での生活から始まりました。
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昭和十九年七月七日、父Sinnjiと母Tosiの"長男"として新潟県新津市で生を受けました。 父は職業軍人でした。母は軍のタイピストだったそうです。 父と母は満州(今の中国)で生活していました。母は私を実家のある新津市で里帰り出産 しました。