2017年5月のブログ記事

  • 高校時代 ・・・

    近所に同じ高校へ行く同期が二人いたけれど、登下校で一緒になった記憶は・・・  雨の日 の下校時に先を歩くトシコさん、私は傘をさしていたけれど彼女は傘ナシだった。 傘を渡して私は走ろうかなどと思いながら・・・  距離を詰めることもなく角を曲がるのを 見送ってしまったことくらいだ ^^

  • 晴れです ・・・

    リラ冷えから、五月晴れどころかいきなり初夏になりました ^^       

  • 進学 ・・・

    男子生徒の大半は進学希望だった。当然の様に国立大学を目指す人と、合格できそうな大学へ行こうと思っている人がいた。母が『富田先生と大学のこと相談してきた』と言ったことがある 。 後日、先生からは『一浪覚悟で国立を目指さないか』と言われた 。 しかし、国立は受験せずに私立を目指すことにさせてもらった…... 続きをみる

  • 高校時代 ・・・

    高校へ入学してバスケットボール部に入ったけれど、一年間ほどで退部して図書部に移っ た。司書のヤマザキさん、小学生時代の佐々木先生に似た雰囲気の楽しい人だった。 放課後に別棟の図書館で数人の部員とのんきに時間を潰していた。 夏休みにヤマザキさんの実家がある漁村へ数人で押しかけ、物置の二階の様な所で数... 続きをみる

  • リラ冷えに雨 ・・・

    寒い雨の一日になりました。暖房を入れてウトウトしたり・・・ 人生を省みたり・・・  (笑       

  • 高校へ ・・・

    二つの中学校で一年半ずつ過ごした中学生時代。古い写真を見ながらそれなりの思い出は ありますが、大よそ普通の中学生として三年間を過ごしました。 卒業後、旧制中学だった高校へ進みました。進学校で他の地域から転居して入学する生徒 もいました。 担任は日本史の富田先生、私は三年間通して担任してもらった三人... 続きをみる

  • 気付けば ・・・

    気付けば木々は みどり 〃 〃 だった ・・・       

  • 静かな一日に・・・

    初夏の様な好天は一休み・・・ 静かな曇り空の一日になりました。       

  • 花曇り …

    穏やかな花曇りの日曜日です。ほんわか 〃 で寿命も延びそうです 🤗                      

  • 西日だけれど ・・・

    真夏ならきつい西日だけれど、皐月のそれは嬉しいくらい ^^       

  • 今日は ・・・

    小雨降る寒い朝・・・今日は天気予報が当たりだ。ワンちゃんと散歩してきた。 チューリップもタンポポも花を閉じていた。 明日からは好天が続くそうだ。満喫しなくてはね ('-'       

  • こうのさん ・・・

    前の町で二人のお姉さんと一緒に歩くこうのさんを覚えています。 向かいのお寺さんの角を山の方向に曲がり踏切を渡った辺りに家がありました。 私が転校して間もなく、こうのさんが汽車に乗って訪ねてきました。 玄関先で戸惑う私に「映画を観てきたら」と母が話してくれました。 ヒチコックの「鳥」、思い浮かぶ鳥が... 続きをみる

  • 転校 ・・・

    小さな町からそれに比べるとかなり大きな市へ転居してそこの中学校に転入しました。 名前は忘れましたが担任の国語の先生が見守ってくれた様に記憶しています。 転校早々から執拗に絡んでくる男子生徒がいました。昼休みの体育館で堪忍袋の緒が切れ た私は彼を壁に押し付けビンタ一発、それを大柄の三人組が遠くから見... 続きをみる

  • 中学校 ・・・

    中学校は小学校の近くにありました。 私の通った小学校と山側の小学校の卒業生が進むこの中学校でニ年生の10月まで過ごし ました。 濃く思い出に残るものは不思議なほどありません。平穏に経過したのだろうと思います。担任の先生とクラスメイトが玄関で送ってくれました。 小学一年から7年半通った道を歩きながら... 続きをみる

  • 卒業 ・・・

    卒業式が終わり静かになった校内を数人と一緒に歩き、やがて玄関のそばの教室にいた。 病気で一年遅れて六年生を一緒に過ごしたガンセさんはお姉さんだった。ガンセさんが 『さぁ、帰ろう』と言った。 歩きながら、一人 〃 とさよならを言った。一人で歩きながら涙がながれました。

  • 遠足 ・・・

    運動会より遠足が好きだった。街はずれの川沿いの辺りでお昼を食べた。 楽しそうだね・・・ 楽しかったんだね ^^ 中心のヤノさんは明るく元気なおんな・・・ 否 女子リーダーだった。       

  • 野球の試合 ・・・

    炭鉱街の小学校の生徒と野球の試合をすることになった。その前日に母にユニフォームが 欲しいと言った。 母は普段着で良いと思うよと言いながら運動具店へ行き用意してくれた。 よかったと思う気持ちと、母にすまないと思うそれとがない交ぜになった。 私の肩に手を置いてくれているのが佐々木先生です。       

  • 笛吹童子、紅孔雀・・・

    笛吹童子、紅孔雀・・・ ノンちゃんやシゲルクンと観に行った。 山側の炭鉱街の劇場は大きくてきれいだった。大きな店舗もあって母はノンちゃんのお母 さんとリックを背負い買い物に行った。何となく炭鉱街の方が活気ある様に感じた。       

  • 先生の宿直 ・・・

    佐々木先生の宿直の日、数人の男子生徒と一緒に泊まるのが楽しみだった。 先生が炊いてくれるホカホカのご飯にバターを溶かして食べた。 それぞれの親が持たせてくれたお菓子なども一緒に食べた。 先生と皆んなで校舎内の見回りをした。暗い廊下と教室と体育館を懐中電灯を照らして歩いた。宿直室に戻り、ホッとして・... 続きをみる

  • 佐々木先生 ・・・

    小学校五年生と六年生の二年間の担任が『佐々木先生』でした。 先生一年生、少し年の離れたお兄さんくらいの先生で、私の人生で深く  〃  記憶に残る大好きな先生です。書き切れないたくさんの思い出が巡ります・・・。

  • スキー遠足 ・・・

    スキー遠足、と言ったかどうか・・・スキー用具が揃っている子供はいなかったと思う。 父が軍隊の時に使ったのだろう短くて幅広で重たいスキー板(雪上の歩行用 ? )に母が 夜なべでバンドや紐やら・・・長靴で履ける様にしてくれた。 後日、そのスキーを履いて先頭になって帰ってくる兄ちゃんを見て嬉しかった、と... 続きをみる

  • 風が止んだ ・・・

    スーッと潮が引く様に風が止み靄りもとれてすっきりした。 あら、カラスの巣がない! 飛ばされてしまった様です。 横の木に一羽が留まっています。ガッカリだと思います。       

  • 強風注意報 ・・・

    黄砂だろうか晴れているけれど靄っている。強い風に高い木が大きく揺れている。 その木のてっぺんに去年できたカラスの巣も大揺れだ。 小枝を絡めただけに見えるけれど、冬の嵐にも耐えたのだから大丈夫だろう。 去年は誕生した子カラスが巣離れするまで辺りを威嚇する親カラスに迷惑した・・・今年は 来ないのかなぁ~

  • 弟が二人 ・・・

    すぐ下の弟は亡くなりましたが、その頃にはその下の二人の弟がいました。 母は事ある度に『お兄ちゃんの言うことを聞いてね』と二人に言いました。 朝ごはんの時、私が卵をといて二人のご飯にかけてやり、残りを私のご飯にかけます。 弟は公平に分けられているかな?と私の手元を見ています。 量が増えるかと醤油を多... 続きをみる

  • その隣は ・・・

    板金屋さんの隣は洋裁教室、そこのシゲルクンは末っ子で私より一才年下、やさしいお姉 さんとその上にお兄さんもいました。 お母さんは自営する洋裁教室の先生で、お父さん・・・  居たなぁ~程度の記憶しかありま せん。 その数軒向こうがお肉屋さん、アイスキャンディーやかき氷も売ってました。 五円のアイスキ... 続きをみる

  • 昭和の漫画 ・・・

    絵にすると昭和の漫画になりそうな話し・・・ まだ 〃 続きます^^

  • 右隣りは・・・

    家は四つ角にあり横を山側の炭鉱を経由してくる川が流れて居ました。 少し上流ではその川をせき止めて炭鉱から流れ出た粉状の石炭を沈殿させる所がありまし た。溜まると流れを変えて水気が切れるのを待ち燃料として使っていた様です。 右隣りは板金屋さん、屋根の鉄板葺きに行く時はバイクにリヤカーを繋ぎ、更に手伝... 続きをみる

  • 向かいはお寺さん・・・

    向かいは大きな『お寺』でした。広い境内は子供たちの遊び場でした。 夏祭りには見世物小屋とオートバイサーカスとたくさんの子供心を掻き立てる出店が並び ました。 大晦日には鐘撞堂で除夜の鐘が百八つ。暖かな時期は正面の石門の陰に女の乞食がいまし た。『みなみのせっこ』と呼ばれ、裏玄関に 食べ物を乞いにき... 続きをみる

  • 小学校に入学・・・

    ことの仔細は分かりませんが、私が小学校に入る前に小さな町の古ぼけた民家に移り、間 もなく二階建ての家に建て替えられました。 小学校に入学、担任は背の高い姿勢の良い男先生で『チョッカク』と言われていました。 街角を曲がる時もきっちりと方向を変えるのを見て "直角だぁ!" と納得しました。 この町のこ... 続きをみる

  • 不確かな記憶 ・・・

    田舎の暮らし・・・ 一年とか二年とかの期間と思います。 その間に弟が亡くなりました。同居する一人の結核がうつり一歳半の命を閉じたのです。 病院の出窓の様な所で母が炭火で魚を焼いている・・・ そんな光景がぼんやりと記憶にあり ます。 ご飯支度をしていたのかも知れませんが、それが本当にそうだったかは分... 続きをみる

  • 義妹の・・・

    義妹の三回忌に行ってきた。本人が居るかと思うほど似た声音の姉の喋りが止まらない。 私と目線が合っても怯むことはない。 義妹、一生懸命な人だった。私は少し苦手だったけれど…。

  • 父親は・・・

    父親は三重県伊勢の出身でした。騎馬隊にあこがれ、家を抜け出して入隊したとかの話し を、後々に父の姉から聞きましたが、それから満州へ至る経過などは分かりません。 敗戦後、軍隊で一緒だった人の父親が北海道で木材店を営む人だった縁で、復員後はその 店の木材を切りだす田舎での生活から始まりました。

  • 母から・・・

    後々に母が断片的に話してくれました。何時ごろに何度聞いたかは覚えていません。 何かの折に何度か話してくれたのだと思います。 毎朝、兵隊さんが馬を曳いて迎えにくるんだよ・・・ 騎乗すると振り返らないで行くんだよ。 その後で兵隊さんが戻ってきて掃除をしてくれるんだよ。 ロシア人の二人がスケートでダンス... 続きをみる

  • 終戦

    その後、母と私は母の実家で生活していました。 翌年、昭和20年8月に終戦となりました。私は一歳になり二歳になり・・・ 。 当時のこと・・・  わずかにでも覚えていることと母から聞いた話しがない交ぜにあると思いますが、祖母と叔父・叔母と二人の従兄に加えご近所のSibataさん母娘と・・・  私はやさ... 続きをみる

  • 昭和十九年七月七日

    昭和十九年七月七日、父Sinnjiと母Tosiの"長男"として新潟県新津市で生を受けました。 父は職業軍人でした。母は軍のタイピストだったそうです。 父と母は満州(今の中国)で生活していました。母は私を実家のある新津市で里帰り出産 しました。