その隣は ・・・

板金屋さんの隣は洋裁教室、そこのシゲルクンは末っ子で私より一才年下、やさしいお姉
さんとその上にお兄さんもいました。

お母さんは自営する洋裁教室の先生で、お父さん・・・  居たなぁ~程度の記憶しかありま
せん。

その数軒向こうがお肉屋さん、アイスキャンディーやかき氷も売ってました。
五円のアイスキャンディーと十円のそれとは味も歯触りも大違い、十円を握りしめて二本
か美味しい一本かは難しい判断でした。

昭和の漫画 ・・・

絵にすると昭和の漫画になりそうな話し・・・ まだ 〃 続きます^^

右隣りは・・・

家は四つ角にあり横を山側の炭鉱を経由してくる川が流れて居ました。
少し上流ではその川をせき止めて炭鉱から流れ出た粉状の石炭を沈殿させる所がありまし
た。溜まると流れを変えて水気が切れるのを待ち燃料として使っていた様です。

右隣りは板金屋さん、屋根の鉄板葺きに行く時はバイクにリヤカーを繋ぎ、更に手伝いの
人が乗った自転車も二台繋いて颯爽と出掛けました。
一人息子のノンちゃんは貰いっ子(養子)で私より一才年下だった。そこの元気なお婆ち
ゃんは私の頭も坊主刈りにしてくれました。動くとバリカンの取っ手でコツンと叩かれ痛
かった。

向かいはお寺さん・・・

向かいは大きな『お寺』でした。広い境内は子供たちの遊び場でした。
夏祭りには見世物小屋とオートバイサーカスとたくさんの子供心を掻き立てる出店が並び
ました。

大晦日には鐘撞堂で除夜の鐘が百八つ。暖かな時期は正面の石門の陰に女の乞食がいまし
た。『みなみのせっこ』と呼ばれ、裏玄関に
食べ物を乞いにきました。母はせっちゃんと呼んでいました。

真冬の製材工場のおが屑置き場で赤ちゃんを産んだところを保護されたと後日人伝に聞き
ました。

小学校に入学・・・

ことの仔細は分かりませんが、私が小学校に入る前に小さな町の古ぼけた民家に移り、間
もなく二階建ての家に建て替えられました。

小学校に入学、担任は背の高い姿勢の良い男先生で『チョッカク』と言われていました。
街角を曲がる時もきっちりと方向を変えるのを見て "直角だぁ!" と納得しました。

この町のこの家で中学二年の10月までを過ごしました。